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五行歌雑誌「ハマ風」の歌紹介ブログ
by machako-hamakaze
ICELANDia
,
【管理人】 岡本まさ子
【著 書】 五行歌集
       「宙で寝返り」

【プロフィール】
五行歌雑誌「ハマ風」編集してます。
・藤沢日曜歌会の代表をしています。

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<   2011年 04月 ( 10 )   > この月の画像一覧

ハマのうたかい(4月7日)

鎌倉と逆になってしまいました。

この日は土曜日からの見舞い旅行のため、休みました。
鎌倉は私がプリント作りをしたため、出席でした。

何とかなる
何とかなるでしょう
何とかします
言い聞かす様に呟くその声に
祈りと意志が重なって力になる

 被災者の方の言葉でしょうか。支援する人の言葉でしょうか。
 このような力強いことばが、中央の政治家から出ないのは何故で
 しょう。

 それに引き替え、被災した地方の市長、町長、区長さんたちは身を粉に
 して、働いておられます。


買ったぼたもちを食べて
母の手のぬくもりを思い出した
涙が出て
すこし
塩からかった

 私もお彼岸のころ、久しぶりにぼた餅つくりました。
 母はぼた餅の名人でしたから、母のできとは雲泥の差。
 しかも母はあんこから手作りでしたからね。私はあんこは買いました。

 なつかしいぼた餅。お母様の手作りを作者も思いだされたのですね。
 味というものは、一番郷愁につながります。


私が あの人だったら
私が ああなったらと
あの日から
ずうっと
思っている

 すべて、自分が経験しないことは、われ関せず、という人が多い。
 さすがに、この震災ではそうでもなかっただろうが、作者のように
 真底人に身になることは難しい。
 
 しかし、同じ体験をしなくても、この作者のように思うことで、その人の
 痛み、必要とすることなどを想象できる。
 大切なことを伝えるお歌。
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by machako-hamakaze | 2011-04-30 11:42

鎌倉歌会(4月8日)

3月の鎌倉歌会は、度々書いているように、あの大震災の日でした。

鎌倉芸術館で地震に遭遇したせいか、みなさんトラウマになって
おられ、あの会場は避けたいというご意見が多くありました。

また、計画停電(無計画停電の声多し!)で、会場が急遽閉館に
なる可能性があるということで、会場を捜していましたところ、
藤沢日曜歌会のE藤さんが、ご自宅を開放してくださるとのことで
去年藤沢日曜歌会でも、開場が取れなかった7月にバーベキュウ
歌会をさせていただいたということで、稲村ガ崎の素敵なお宅での
歌会となりました。

E藤さん、ありがとうございます。
可愛いけど、人見知りのネコちゃんがいます。

〝いろんな力がびっしり
詰まった会社です〟の駅広告
〝いろんな楽しさがたっぷり
詰まった歌会です〟と拝借
代表 これ採用しますか

 今回は代表さんのM岡さんのパソコンが故障したので、私が
 作品プリントを担当しました。

 なので、このお歌をいただいたとたん、思わず「採用!!」と
 叫びました。
 うれしいですねえ。
 この心意気、姐さん(年下だった!)粋だねえ。


白百合や
白菊をみれば
棺に捧げられる
飾り花
別れ花と想う

 今回の大震災で亡くなられた方たちの土葬風景がすぐに目に
 浮びました。

 2本か3本しか用意できなかったのでしょう。
 あたり一面黒と灰色の風景の中に、その白さが目に焼きつきます。
 
 心からご冥福をお祈りいたします。


生あくびの連続に
ティースプーン半分の
砂糖を入れたコーヒーを黙って出す
一口の後の君の一声
小さなガッツポーズで受け止めた

 いつもはお砂糖を入れられない方なのでしょう。
 でも、お仕事疲れか生あくびの連続のパートナーに、少しだけお砂糖を
 コーヒーに入れた。

 う?砂糖入れたの、おいしいねえ・・・
 きっとこのような言葉があったのでしょう。
 妻冥利につきる言葉。
 ガッツポーズも出ようもの。うらやましいご夫婦の佳景。


私の歌

こんな時でも
呑気そうな
空だなあ
地上の惨は
映らないんだね

 きれいな青空の日。
 新聞やテレビでは毎日被災地の惨状を伝えています。
 まるで関係ないよ、といわんばかり。
 いやそれは、人間の勝手な解釈。

 この翌日から被災した兄のところへ行きました。
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by machako-hamakaze | 2011-04-29 12:00

歌会「SUN-SUN」

この日、SUN-SUNは歌会のあとに、お花見をすることになって
います。

この企画が始まってから毎年参加していましたが、今年はやはり
まだ兄が避難所にいて、しかもまだ会いにも行っていないので
どうしても、その気になりませんでした。

でも、みなさんはとっても楽しまれたそうで、良かったです。
代表のN子さんが、下見もして、桜だけでなく梅、桃など
百花繚乱(ちょっと大げさ?)を愛でて、また酒盛りも大いに
盛り上がったようです(なにせ、大酒のみが多い・・・笑)

歌会のお歌はやはり災害からみが多かったです。


元気だせよ と
囁くように
肩抱くように
柔らかに柳芽吹いて
風に揺らいで

 この春は、自分が災害を受けたわけでなくても、あの被災地の
 映像を毎日のように、見て、涙し、なくなった人、被災した人に
 思いを寄せれば、寄せるほど、心身ともに沈み込むようになって
 しまったと思います。

 そんな中、柔らかな柳の芽がやさしくあのビロードのようのな
 肌でなでてくれるように感じた。
 作者の細やかな感性がしみじみと伝わります。


一口含んで
色を味わい
力を感じて
喉を潤し
余韻を楽しむ

 とても好きなお歌、多分日本酒だろうと思ったこともありました。
 
 色とあるからワインではないかとか色々と意見がでましたが、
 日本酒も微妙に色があるもの、また力を感じるというところで
 日本酒と確信。作者も日本酒のことだと。

 いつも藤沢日曜歌会の2次会では、越の景虎を御一緒します。


「風は季節を運ぶ郵便やさん」
と園児達の歌声
あったか~い春、
早く早く届けてほしいね
歌詠みおばさん思わず呟く

 これもすぐに、被災地への応援歌とわかった。

 普段でも心なごみ、笑みがうかぶ子供の声、まして恐ろしく辛い体験を
 された人々へ、あの声と、そして春を届けたい。


今日、一番のお気に入りのお歌。

だいたい
名前だって
よくない
厳罰と
聞える

 マスコミにだしたいようなお歌。
 「げんぱつ」と「げんばつ」は確かに似ている。

 厳罰を受けるべき相手が受けず、いつも弱者にしわ寄せ。
 
 格上の社会詠。


 
 
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by machako-hamakaze | 2011-04-28 10:37

藤沢日曜歌会(4月3日)

本来ならこの日は日曜恒例のお花見歌会の予定でした。

自粛したわけではないのですが、あの震災からまだ一ヶ月も
経たないで、私自身の気持ちもそうですが、みなさんもお花見という
気分ではないということでしたので、急遽普通の歌会として
やることにしました。

お花見ではないので、人数が少ないかなと思いましたが、なんと
27名の方がお集まりくださいました。
ありがとうございました。

司会予定のU野さんは、あの震災以来ご体調がすぐれないという
ことで、私が司会をしました。
被災した兄のことがあり、沈みがちな私でしたが、大勢の方を前に
気持ちを奮い立たせて頑張りました。

27首中21首が震災関連のお歌でした。

進行しながら、だんだん沈み込んでいく感じがして、いつものダジャレ
も全然でません。とても素晴らしいお歌ばかりでしたが、ここまで
震災は影響を与えたのだと、あらためて思い知らされました。

1席から3席まで、SUN-SUNの方の震災のお歌でした。
そちらはハマ風で。


怨みの海水に
助けを乞う原発
宇宙から見れば
青く美しい地球に
悪魔と天使が潜む

 あのすさまじい津波となった海水で、熱を抑えなくてはいけない、
 前2行に、ここまでの危険性を隠し続けてきた、いや、当事者も
 安全と信じ込んでいたからこその、「ソウテイガイ」対応への
 的を得た批判。

 この世に完璧なものはない。
 ありえないと思いつつも、準備してこその科学であろうに。
 
 今、なぜかあれほど騒いだ放射能値を言わなくなっている。
 安全だからか、隠すことにしたのか。
 
 喉元すぎれば熱さ忘れる日本人、を期待しているのだろうか。


悔しいね
こんな、災い・・・
みんなで、みんなで
光を届けるから
闇も少しづつ分け合っていくから、ね

 たどたどしい幼い子供のような言い方に、大震災への衝撃と
 作者の被災者への 思いやりが汲み取れる。

 
きっと きっと
と 鶯が歌い始めました
いい明日がたくさん咲くわ
と 桜の蕾がほわほわと囁きました
ほら 里山にも春が来ますよ~

 これは震災のことは書いていないが、どんな時でもどんな場所にも
 春がくるんだよ、鳥も鳴き、花も咲き、明日という「時」が花咲くように
 やってくるんだよ、と応援しているお歌。


私の歌

咲けない なんて
自粛しないで いいよ
せめて
この国にも
春が来ることを

 この日、お花見を中止にしましたが、藤沢ではソメイヨシノはほとんど
 咲いていませんでしたし、寒い日でしたので、ちょうど良かったかも
 しれません。

 それにしても、今年はあの震災があったからか、まるで桜そのものが
 自粛しているように、咲くのが遅かった。
 でも、咲いてね、どんな時でも春がくることを知らせてね、と言う思いで
 書いたのです。


 
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by machako-hamakaze | 2011-04-25 11:24

新横浜歌会(3月22日)紙上歌会

地震後の皆さんのお気持ちや電車運行の不安、また計画停電
など、諸事情から、11日以来歌会はすべて休会でした。

新横浜歌会代表Fみさんが、紙上歌会を企画してくれました。
そこで、本来ならこの日ご一緒しようとお誘いしていた、Y口
さんにも声かけました。

13人の方がお歌を寄せてくださっていました。
すべてのお歌へのコメントもつけて結果を送ってくださいました。


私らしさ と言われるもの
本物か作りものか
胸(ここ)に居る乳白色の塊りは
柔かくも硬くもなくて
決して 二つに割れなくて

 乳房という胸の表面と、胸の中の心と、双方に自分らしさという
 ことをかけて、見事。

 でも、心にある自分らしさは、乳房とは違いけっして二つに
 割れることはない、という。
 
 感想は、良い歌だなあ・・・同時に、大きいんですね!うらやましい!


ぱらぱらぱら
危ない!天井が落ちてくる
体育館で、ぱらぱらぱら
先生、バドミントンの羽根です
引っかかってたのが落ちてきました
 
 これは地震の恐怖が身についてしまった、先生の異常反応の
 お歌ですが、面白い!
 
 続く余震に、異常反応とばかりはいえないですね。何かの拍子に
 ガタンと音したり、揺れたりすると、すわ!また大地震か!と
 思ってしまいます。
 
 ぱらぱらと落ちてきたのが、本当に天井のかけらだったら・・・と。

 冷静な生徒さんが居てよかったです。
 ちょっとそそっかしい先生かな。
 特上ユーモアです(しかも、ブラックでもあります)


五行歌を作ろうと
紙に向かう
被災地のテレビを見る
涙が止まらない
やはり書けない

 地震以来の歌会でも、ハマ風投稿のお歌を見ても、かなりの数で
 地震や原発を詠っていました。

 でも、本当に、現状をまのあたりにしたとき、出てくるのは歌ではなく
 涙だけというのが良くわかります。
 私も一時期そうでしたし、今も以前のような歌作りができません。
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by machako-hamakaze | 2011-04-24 15:14

鎌倉歌会(3月11日)

3月11日、あの日です。

一生忘れられない日、そして歌会。

鎌倉歌会はいつもどおり、なごやかに楽しく始まりました。

先日ハマのうたかいでN草さんにいただいた蕗のとうで作った
ふきのとう味噌をまぜたハーブバターならぬ、ふきのとう味噌バターを
持参し、クラッカーにつけて召し上がってもらっていました。

そして、歌会の7番が終って、8番に入ろうとしたときでした。

皆さんの地震だ、という声。
私は以前めまいをおこしてから、少々の地震はあまりわかりません。
騒ぎすぎだなあとかのん気に思っていました。

しかし、その地震は私の鈍感な感覚でもかなりのゆれがわかるくらいに
足もとが回転するように、ぐるぐると回るように揺れ出しました。

これは尋常ではない!と逃げようとしました。
動かないほうが良いよ、という男性の声で、それもそうかと席にもどろう
としたのですが、今度は足元が覚束ないほどのゆれです。しかも長い。

そのとき、バチンと電気が消えました。
悲鳴があがります。

それと前後して、外へ非難してください、との館内放送です。
非常食になるかもと机の上のお菓子をバッグに入れて、逃げ出しました。
幸い3階だったので、階段ですぐに降りられます。

館にいた全員が避難したため、すごい人です。

そして、寒い中外で地震が収まり、情報が入るのを待ったのでした。

関係ないことですが、その避難していた人の中に俳優の三國連太郎
さんがいらっしゃいました。テレビで拝見するよりずっとお若く見え
またとても素敵でした。落ち着いておられました。

その後のことは以前にも書きましたので、これくらいにしましょう。

鎌倉歌会の歌にいきます。

歌会が途中だったので、あとから代表のM岡さんが、みなさんから
コメントを送ってもらい、結果とコメントをすべて読むことができました。
代表さんありがとうございました。


春一番に吹かれて
春の香りに包まれ
一瞬の白昼夢にひたり
現実を忘れそう
春ってこんなもの?

 普通の春の雰囲気はこういったものですよね。
 胡蝶の夢・・・どちらが現実なのか、夢なのかとも思える、うららかな
 春。

 5行目に、今となっては、そう、本当はそういうものなのよね、と
 言いたくなります。好きなお歌でした。


頭のてっぺんで
天を感じる
体中の邪気を
呼気としてすべて吐き出す
私を鎮めるヨガの姿勢

 息は吸うより、吐くことが大事と言われています。
 亡くなるときは、息を引き取るといいます。ゆっくりとたっぷりと息を
 吸い、またゆっくりと少しずつ、息を長く吐いていきます。

 今思えばヨガだったのでしょうか?芝居のお稽古のなかの一環で
 やりました。
 人はショック状態になると極端に呼吸が浅くなるもの。

 作者は邪気を鎮めるとき、この方法を使うと。

 
へぇ~! ほぉ~!
あらぁ~! まぁ~!
進化した機能に
出るは感嘆ばかり
買い換えたミシン

 明治期に入った「ソーイングマシン」から、「ミシン」となったこの機械。
 昔は足で踏んで手で廻して、縫ったものでした。それでも、手縫い
 しかなかった女性の作業をどれだけ軽くしたでしょう。

 そんな時代は昔の昔、またまたすごい機能がついたミシンに、作者
 感嘆符の大連発です。
 新しい機械を手に入れた子供のようなはしゃぎようが楽しいです。
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by machako-hamakaze | 2011-04-23 09:48

ヘリオス歌会(3月9日)

歌会更新ようやくです。

体調不良だったので、欠席した歌会です。

早春のセリ摘みは
タネツケバナや
カラスノエンドウが
邪魔をする
目の衰えも邪魔をする

 お店で見かければ、三つ葉や他の春の野菜と間違える事はないですが
 川べりで見つけたときは、ちょっと??になります。毒セリもあるし・・・
 確かな目を持った人が側にいなければ、私はとても無理でしょう。

 セリのまわりに、タネツケバナ(これも知らない)やカラスノエンドウなどが
 ある。そこからセリだけを摘む作者。

 それでも少し前なら、ぱっぱっぱと摘めたが、目が・・・
 作者の春の菜摘みを楽しむ姿と共に、少しだけ年齢を嘆く様子が見える。

 
 話はそれますが、古の時代、春の菜摘み(草摘み)は大きな意味を持つ
 儀式だったそうです。
 
 「こもよ みこもち ふくしもよ」という雄略天皇のお歌がありますが、あれも
 普通の乙女が菜を摘んでいたわけではないとか。
 天皇が名前を聞くということは、結婚を申し込むということだったそうです。
 
 
主役には遠いが
台所の達人
ちょっと塩さし
コリコリ、人参
きっと美人さんになれると想うよ

 テーブルの上で人参が主役になるということは、ほとんどないだろう。
 
 でも、あのキレイな色、塩をつけて、齧ればコリコリとおいしい。
 甘みが口に広がる、主役まではいかないけれども、準主役級の美人
 扱いできる。

 この最後の「美人さん」は、人参そのものとも、また食べた人がそうなる
 とも、取れる。


花も
夢を見るのだろう
ぽっと
ぼんぼりのような
灯りをともす 紅さくら

 紅さくらのほほ赤らめた少女を連想したのだろうか、その少女が恋か
 未来の夢を見るように、ぼんぼりのような「ぽっと」した灯りをともす
 そんなことを作者が夢見る。

 花も夢を見る・・・という発想が美しく、素敵。


私の欠席歌

かあさんが
作る
ふんわりした
ひかりの輪
それが日向だったんだ

 日曜歌会の題詠「ひなた」で作った歌のひとつ。
 歌集めをしていると、同じようなテーマで優れた歌が来てしまうと、つい
 ひっこめる歌がでてくる。
 これはそういう歌でした。

 
 
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by machako-hamakaze | 2011-04-22 08:44

避難所

前回兄のところへ行った話を書いていて、胸が苦しくなり、途中でやめて
なかなか書けないでいましたが、これを書いてしまわないと、歌会の
更新ができません。

ハマ風の選歌と評もすすみません。
気持ちをふるいおこして、書きます。

兄の家から避難所へ向かいました。
片付けのために、姪と下の姪夫婦がのこりました。

帰り際上の姪を思わず抱きしめました。

よく生きていてくれた、がんばってくれた、無理するなとはいえないけど、
でも、無理しないでね。
いっぱいいっぱいで頑張っているのがわかりました。

避難所へ向かいます。
兄の自宅からかなり遠い避難所でした。壊れた家や泥だらけで放置されて
いる車などのある道をずっと走りました。

最近合併が進んだという石巻のはずれでしょうか。
一見なにも被害のないように見える町の中にK体育館はありました。
はじめはその隣の狭いK母子センターが避難所だったそうですが、
避難の方が増えてとなりの体育館に移ったそうです。

そとに、給水車と仮設トイレが4つありました。
中に入るとき、靴はもつように、といわれました。すぐになくなってしまうのd
そうです。

兄の家も一階が全滅でしたから、玄関においてある靴は履いていたもの
しかないわけです。みなさんもそうなのでしょう。着の身着のままでにげた
人はサンダル履きだったかもしれません。靴は必要物資でした。

支援物資で靴が来たけど、穴があいていた、と兄。
以前、阪神の時も、ボロボロの服やくつが届いて困ったという話を聞いて
いましたが、まさに、ここでもそうでした。

避難所の中を見渡して、テレビでみていた風景ではありますが、改めて
愕然です。

しきりは一切なしです。一人二人ダンボールの仕切りをしている人が
いましたが、あとはなしです。そいういうスペースすらありません。
ぎっしりと布団や毛布が敷いてあります。

兄一家も兄、義姉、姪と3人分。若い娘だろうが、おじさんだろうが、
仕切りなしです。着替えスペースもなしです。

パン食べるか?と自嘲ぎみに兄がいいました。
賞味期限切れか前日くらいのパンならたくさんあるのだそうです。
悲しくなりました。
もちろん、始めのころのそういうものも全然入らないころと比べれば
いいほうだよ。食料(炭水化物)だけは充分にある、と。
(野菜などは一切なし、健康が心配されます)

ご近所で仲良くしていた人が一人同じ避難所なので、ここでの生活では
その人と静に、こっそりと夜にお酒を飲むのだけが息抜きのようでした。

リーダーはいないようでした。でも、しきりやさんのおばさんがいて
なにやら指図をしていました。リーダー不在にじっとしていられない
女性だったかもしれません。

水道の復活や、物資の滞り、暖かいものの支援など、リーダーがいれば
市との交渉できるでしょうに。ある種ムラのような雰囲気が出来ている
のかもしれません。
外部からいった私が言うことではないかもしれないのですが。

避難して3週間目に初めてお風呂にいくのだと前に電話で聞きました。
でもその実態を聞いて、驚きました。

一泊二食付きのお泊りだったそうですが、なんと、家が壊れ流された
避難者から一人4000円を徴収したそうなのです。普段の半額だと
いうことですが、家族が二人なら8000えん、三人なら12000円です。

これから先、お金がいくらあっても足りない避難者に対する仕打ちで
しょうか。それでも3週間もお風呂に入れなかった人々はバスでの
送迎もあり、たくさんいらしたそうです。涙があふれます。

切なさがあふれて、避難所をでました。

他の4人の兄弟が2人の兄家族をせめてもの温泉招待です。
はじめ予約していた旅館は2日前の余震で、ダメになり、急遽
鳴子のホテルになりました。以前兄弟会でも利用したことのある
ホテルです。

フロントで、夕食もバイキングだとのことで少しびっくり。
こんな時だから、職員の方も少なくなったのかもしれないと納得。

早速入浴。
石巻の兄嫁さんが、洗い場で見えません。と、かなり離れたところに
いました。なんで、あんなに遠くの洗い場に・・・と思って思い当たり
ました。ずっとお風呂に入っていないから、気を使ったのでしょう。

夕食もバイキングとはいえ、充実していました。
天麩羅は目の前で揚げたてをどんどん出してくれます。
鮎の塩焼きも焼きたてがならびます。

兄はあったかいものは殆ど食べられないそうです。炊き出しが
2回くらいあっただけだそうですから。小さな避難所だからしかたない
と諦めていました。

まあ、もともと飲兵衛の兄たち(人のこと言えませんが)です。
飲み放題をとって、飲むわ飲むわ。ホテルはサービスで
飲み放題全員でなくてもオーケーとのこと。これはうれしい。

部屋にもどり、生魚を全然食べられなかった石巻の兄夫婦に
食べさせたいと、酒田の義姉が前日一生懸命さばいていた
「やりいか」の刺身でもう少しのもうとしました。

ところが、なんとお醤油とお箸を車に忘れてきたとのこと。
ホテルの駐車場はかなり離れたところにあり、飲んでしまった
兄たちは取りにもいけず、無理を承知でフロントに頼んでみよう
ということになりました。

一人の兄が電話を掛けていたのですが、怒ってきりました。
だめだの一点ばりだというのです。被災した兄、かけます。
事情を話して、遠くからきてくれた兄姉たちが被災した自分に
食べさせたいと持ってきてくれたものだから、頼みたいと
丁寧に説明して頼んでいましたが絶対だめ、と譲りません
でした。しかも、かなりきつい口調だったそうです。

確かにホテルは持ち込み禁止、しかも生のものを食べるから
お醤油を頼むなんて、普通の時だったら言語道断の頼みで
しょう。でも、こんな時です。被災した人のほんのちょっとした
頼みでしょう。本当はいけないのですがそういう事情なら、
自分の裁量でお持ちします・・・というくらいのことが何故でき
なかったのでしょうか?

自分勝手なお客のいうことなんかいちいち聞いていられない
ということなのでしょうか。

私はアンケートにくわしく書きました。血も涙もない対応だったと。
他の点は文句なしに良かったのに、この電話対応で、二度と
私たち一家はこちらには来ないでしょうと。

先日社長からはがきが届きました。
「社員が震災のこのような時期に臨機応変の対応をしなかった
ことを伏してお詫び申し上げます」と。

ルール、マニュアルどおりしか動けない人間が多くなってきました。

ホテルの中に「南三陸町ご一行様」という部屋がありました。
被災地の人を受け入れているホテルでした。
そんなホテルなのに、残念の一言に尽きます。

それでも私たちは持っているものを色々出して、蕗味噌、しょうが、
唐辛子味噌などなどで、兄に食べてもらいました。
酒田のやりいかは甘くてとてもおいしいのに。
酒田の兄嫁さんが小さいのしかなかった、といいつつ、冷たい水
であらい、前日必死に作ってくれていたもの。

夜はこれからのことを話し合いましたが、結論がでようはずが
ありません。

一番上の兄がいいました。
今はまだ無理だろう、ゆっくり考えていいんだ。
そのとおりだと思いました。
兄の目が潤んでいました。

これからもできるだけ支援していこうと強く思ったのです。

長々とお付き合いいただきありがとうございました。

目の当たりにしたことを書くことで、被災地の現状をお伝えしたかった
のです。
兄一家のことを書きましたが、被災されたそれぞれの方たちが
同じかそれ以上の辛い状況だということを書きたかったのです。
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by machako-hamakaze | 2011-04-20 11:20

石巻と松島、行ってきました

被災した石巻と松島の兄のところへ行ってきました。

電車がまだ直行ではいけないので、9日酒田の兄のところへ
行き、そこから兄夫婦と車で向いました。

松島の兄は幸い家は倒れたり流されたりしなかったので、
松島へ行きました。東松島は被害が甚大でしたが松島町は島が
津波波をふせいでくれたそうで、津波被害は大丈夫だったようです。

ただ、兄の家に近づくにつれ、石でつくられた倉庫がくずれている
のを見るようになりました。

兄の家は一見無事に建っていました。
しかし、裏の倉庫がぺしゃんこになり屋根だけになっていました、
石が散乱していました。その大きな石がもっと住居にくずれていたら、
家は壊れていたでしょう。それでも大分ひびがはいり、建物がゆが
んだと言っていました。

庭の大きな梅の木(梅の実を毎年送ってくれました)も根が露出して
いました。
塀のようにしていた岩が家のすぐそばの堰に落ち込み、堰の水を
止めたので、兄が農家の人に迷惑がかかるからと大分撤去したのだ
けれど、腰がおかしくなって、全部は無理とのこと。ちょろちょろですが
流れていました。

買ったばかりの液晶テレビが壊れ、電子レンジも吹っ飛んだそうです。
行く前日の大きな余震で、また停電になったけど、私たちが行ったとき
復活していました。

やがて、飛行機で山形まで来た姉が山形の兄の車で到着しました。

途中のコンビにで買ったお弁当を冷たいままみんなで食べました。

そして、いよいよ石巻へ向かいます。

道路は、小さいけれど陥没や隆起があり、車がかなりがたがたしま
した。

だんだん、津波が押し寄せた痕跡が残ったままの道路、家、店舗が
現れてきました。ボランティアの若い人たちがゴミを拾っています。

川にはおし流されてきた、車、家の屋根、大きな木などが多く見られ
るようになりました。ビニールのゴミもいっぱいです。

兄の家の近くに来ました。さっきの川と違う川の堤防の上の道路まで
いき、そこからは地元の人意外の車は入れないので歩いていきます。
不思議なことにその川はさっきの川より大きかったのに、流れ着いて
いるものがありません。
後から聞いたら、この川から津波が来たのではなく、海から来たと
のこと。海からはけっこう離れているのにです。川から来たなら
兄の家は痕跡もなくなっていたでしょう。

長靴も用意していましたが、少々泥っぽかったけど、なんとかなしで
大丈夫でした。あたりにはヘドロというか化学臭というか、強い臭い
がしていました。

兄の家です。
一階は泥水に浸かってしまったので、兄夫婦と姪が片付けをして
いました。
家の中はほんとうに酷いものでした。
買ったばかりの乾燥機付き洗濯機が、娘達が弾いていたピアノが、
大きなタンス等がみな泥だらけでひっくり返っています。

一階に置いてあったすべてのものがやられたので、もちろん台所
用品、靴などもありません。

これだけの惨状でどうやって助かったのか、兄に詳しく聞きました。

あの日、翌日の12日から兄嫁の実家(酒田)で法事があるために
午前中にお土産を買いに行った。帰宅してお昼をたべしばらくして
地震があり、津波を知らせるサイレンが鳴った(このサイレンが自宅の
すぐ側にあったのが幸いしました)。

地震の大きさから考えて波が来る!と直感した兄夫婦はすぐに車で
逃げ出したそうです。娘は会社だったので、大丈夫でした。会社は
高台にあるそうです。

これが幸いしました。午前中に買物に行った、笹かまぼこやさんは
津波に流されてしまったそうです。昼から買物に行っていたら・・・
ぞっとします。
またお土産のかまぼこが避難所での最初の食べ物になったそうです。

兄の家のまわりにはわりと家が残っていましたが、すぐ下のお宅は
だめで、車が何台も流されてきていました。兄の家のもう一台の車も
流されて、どこかの門の屋根のようになっていたそうです。

娘の友人が片付けに来てくれたり、洗濯機を使わせてくれるので、
それを無事だった2階のベランダに干していました。
行ったり来たりが車でできるので、兄たちはまだ幸いです。

ゴミも市が回収してくれる間に出さないと持っていってもらえないので
思い出の品もみな速くださないといけないのです。

兄がいる避難所の様子は次の更新で。
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by machako-hamakaze | 2011-04-14 14:02

藤沢日曜歌会・しじま会(3月6日)

藤沢日曜歌会の3月はいつも亡くなられた、向井文丸さんを
偲ぶ会として、「しじま会」という向井さんの歌集にちなんだ
名前で、題詠を行っています。

今年は「日向」でした。

題をいただいたお歌です。

濡れ縁に
秋が来た
投げ出せば
足首が早くも
日向ぼっこ

 と秋のお歌なのですが、この題を決めたときが昨年の秋だった
 もので、このお歌で「日向」としてしまいました。

 23人の方がご参加でした。
 もちろん、向井さんをご存知ない方のほうが多くなってしまいました。
 でも、こうして、素晴らしい歌人がいたことを知っていただきたいです。


電車の中では
喋らない 座らない
と 厳しく育てた娘(こ)に
子が生れたら
日向のようなおばあちゃんになろう

 私も一人息子をかなり厳しく育てました。今思えば、あんなに厳しく
 しなくても・・・と、可愛そうなことをしたと反省しています。
 やはり電車では彼は一切座りません(今通勤電車では知らないけど)
 
 この作者はまだお孫さんがいらっしゃらないのですね。

 はい、私は日向を通り越したおばあちゃんになってしまいました。


ひなたから疎遠されてきた
望郷の丘
そしてそこで暮らす
暖かい心を想う時
私の心に日向が生まれる

 一読、あの元ハンセン病の療養施設「全生園」の「望郷の丘」だと
 思いました。

 今、この病気を知っている人のほうが少ない。
 松本清張氏の「砂の器」のドラマ化を見て驚いた。ハンセン病に
 かかったために、放浪し、隠し続ける主人公だからこそ、あの殺人が
 起きたのに、設定がまったく違っていた。

 かつて、原作を越えたとまで言われた映画とは雲泥の差だった。

 私も全生園で開かれていた歌会に何年か出席した。
 初めて伺ったときに、Ⅰ藤さん(故人)が案内をしてくださった。
 「望郷の丘」あまりに残酷な場所である。
 施設から出ることを許されない患者さんたちは、たった2~3メートルの
 築山のような望郷の丘から、見えるはずもない古里の方角を見たと
 言う。

 初めて溢れるように五行歌ができた。歌集にも入れた。
 決して忘れることはできないあの場所。そして、このお歌の作者も
 感じた「暖かい心」を。


塀の隅
三角薄紙の
日向に
猫が
文鎮になり

 この破調短歌のようなお歌が好き。

 塀と塀がぶつかりあう場所に、光線の加減で日向が三角に出来た。
 日の当ってない土と比べると、まるで薄紙をおいたように見える。
 その紙を風で飛ばされないようにとばかり、ちょっと太めの(私の想象)
 猫が、文鎮のようにいる。

 のどかで、そしていて、諧謔の味のあるお歌。
 小さな日向を「三角薄紙」と捉えた感性!
 猫を文鎮にしてしまったユーモア!
 
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by machako-hamakaze | 2011-04-06 18:46